ρ-tert-ブチルフェノールのマウスを用いる小核試験

Micronucleus Test of p-tert-Butylphenol in Mice

要約

今回,OECD既存化学物質安全性点検等に係わる毒性調査の一環として,ρ-tert-ブチルフェノールの生体内における細胞遺伝学的影響を調べるために,マウスの骨髄細胞を用いる小核試験を実施した.毒性予備試験の結果に基づいて,CD-1(ICR)雄マウスにρ-tert-ブチルフェノールの12.5,25および50 mg/kgをそれぞれ単回腹腔内投与し,投与後24および48時間に骨髄の塗抹標本を作製した.標本観察の結果,ρ-tert-ブチルフェノール投与後24および48時間のいずれにおいても,投与による小核出現頻度の統計学的に有意な増加は認められなかった.また,全赤血球中に占める幼若赤血球の比率についても,投与後24および48時間のいずれにおいても陰性対照群と被験物質各投与群との間に有意な差は認められなかった.

以上の結果から,本試験条件下では,ρ-tert-ブチルフェノールは雄マウスの骨髄細胞において染色体異常誘発作用あるいは紡錘体形成阻害作用を示さず,さらに骨髄細胞の増殖抑制作用も有しないものと結論した.

方法

1. 被験物質

試験には,大日本インキ化学工業(株)(千葉)から提供を受けた,ロット番号:C763,純度:99.9 %(不純物:2,4-di-tert-ブチルフェノール0.006 %,2,6-di-tert-ブチルフェノール0.001 %)を使用した.入手した被験物質は,室温保管した.

投与検体は,被験物質を各濃度ごとに秤量し,乳鉢で磨砕後,0.5 w/v%メチルセルロース水溶液(以下0.5 %MCと略す)を少量ずつ加えながら練り混ぜて懸濁液とし,さらにあわとり練太郎((株)シンキー,AR-360M)を用いて公転速度2000 rpm,自転速度600 rpmで1分間ミキシング後,所定の濃度に調製した.0.5 %MCは,メチルセルロース(50 cP,和光純薬工業(株),ロット番号:KSF7837)を日局注射用水(光製薬(株),製造番号:9912ST)に溶解して調製した.0.500 mg/mLおよび20.0 mg/mLの調製検体については,冷蔵,遮光条件下で24時間安定であることが確認されたことから,投与前日に調製し,遮光条件で気密容器で冷蔵し,24時間以内に投与に用いた.なお,各濃度の投与検体について被験物質の含量を測定した結果,平均含量が調製指示値の90.0〜110 %の範囲内にあることが確認された.

2. 使用動物および飼育方法

実験には,日本チャールス・リバー(株)から購入した8週齢のICR系マウス(Crj:CD-1(ICR),SPF)を,入荷日を含む7日間,検疫と馴化を兼ねて飼育した後,9週齢で試験に供した.

動物は,全飼育期間を通じて,許容温度:21.0〜25.0 ℃,許容湿度:40.0〜75.0 %,換気回数:約15回/時間,照明12時間(7時〜19時)に設定された飼育室内で,床敷として木製チップ(ホワイトフレーク,日本チャールス・リバー(株))を入れたTPX樹脂製ケージに1匹ずつ収容し,固型飼料(CE-2,日本クレア(株))と水道水(秦野市水道局給水)を自由摂取させて飼育した.

3. 投与量の設定および投与方法

投与量は,毒性予備試験の結果に基づいて決定した.すなわち,マウスを用いた腹腔内投与による急性毒性試験において,LD50値が78 mg/kgであることが報告されていることから1),被験物質の25,50,100および200 mg/kgを各群5匹の雌雄マウスに単回腹腔内投与した.その結果,雄では投与後1時間の観察で自発運動低下が全ての投与群でみられ,100および200 mg/kg投与群では腹臥位となった.200 mg/kg投与群ではさらに挙尾,強直性痙攣,異常発声,流涎が認められ,投与後6時間までに全例が死亡した.100 mg/kg投与群では観察期間中に3例の死亡がみられた.雌では投与後1時間の観察で自発運動低下が50 mg/kg以上の投与群でみられ,100 mg/kg投与群では,腹臥位も1例みられた.200 mg/kg投与群では腹臥位,挙尾,強直性痙攣,異常発声が認められ,観察期間中に4例の死亡がみられた.雄の100および雌の200 mg/kg投与群の生存例では,観察期間の間,一般状態の変化が続いたが,その他の群では観察2日目以降一般状態は回復した.

以上の結果から,一般状態の変化および最大耐量に著しい性差はないと判断し,小核試験は,雄マウスのみを用いて行うこととした.また,本被験物質の最大耐量は50 mg/kgであることから,小核試験に用いる高用量を50 mg/kgとした.すなわち,被験物質投与群は12.5,25および50 mg/kgの3用量群とし,陰性対照群および陽性対照群を加え,標本作製時期を投与後24および48時間として,各群5匹からなる9群を設けた.なお,陰性対照物質は被験物質の媒体である0.5 %MCを,陽性対照物質はシクロホスファミド(以下CPAと略す)をそれぞれ選択した.被験物質および陰性対照物質はいずれも,注射筒および注射針を用いて,投与直前に測定した体重をもとに個体別の投与液量(10 mL/kg)を算出し,正確な量を腹腔内に単回投与した.陽性対照物質(CPA,Sigma Chemical Co. USA,Lot. No. 108H0568)は,日局生理食塩液((株)大塚製薬工場,製造番号:7H92N)に溶解して所定濃度(5 mg/mL)に調製後,10 mL/kgの液量で強制経口投与した.

4. 観察および検査

1) 症状観察

投与日は投与後約1時間にわたり継続的に生死および一般状態を観察し,その後は投与後約6時間に観察した.投与の翌日以降は,午前10時前後に観察した.

2) 標本の作製

小核の観察のための骨髄塗抹標本は,Schmidの方法2, 3)に従って作製した.すなわち,投与後,所定の標本作製時期に頸椎脱臼法にてマウスを致死させ,両側の大腿骨を摘出した.その後,大腿骨の骨端を切断して,骨髄細胞を0.6 mLの非働化したウシ胎児血清(Lot No.:1077012,Life Technologies Inc.)で洗い出し,約1200 rpmで5分間遠心分離後,沈渣をピペッティングして,細胞浮遊液の一部をスライドグラス上に塗抹(各個体につき3枚)した.それぞれの骨髄塗抹標本には試験計画番号,スライド番号およびコード化した番号を記入し,室温で自然乾燥させた.乾燥した標本は,メタノールで5分間固定後,標本観察時まで室温保存した.

3) 骨髄塗抹標本のアクリジンオレンジ(AO)螢光染色および小核の観察

骨髄塗抹標本のAO螢光染色は,Hayashiらの方法4)に従い,標本観察の直前に40 μg/mLのAO溶液を骨髄塗抹標本に滴下し,カバーグラスをかけて螢光顕微鏡下で観察した.骨髄塗抹標本は,各個体について2名の観察者により観察した.1匹あたり2000個の幼若赤血球を観察し,そのうち小核を有する幼若赤血球の数を記録した.また,1匹あたり1000個の赤血球(幼若赤血球および成熟赤血球)を観察して,赤血球中に占める幼若赤血球の比率を調べた.

4) 統計処理法および判定基準

(小核出現頻度)

陰性対照群と陽性対照群の小核出現頻度が,背景データのばらつきの範囲内(平均値 ± 3 × 標準偏差)にあるか否かを調べた.

小核出現頻度については,陰性対照群と被験物質投与群の間および陰性対照群と陽性対照群の間で,Fisherの正確確率検定法5)(片側検定)により有意差検定を行った.なお,検定にあたっては,多重性を考慮してBonferroniの補正6)を行った.また,小核出現頻度の用量(対数値)依存性について,Cochran-Armitageの傾向検定7)(片側検定)を行った.

(赤血球中に占める幼若赤血球の比率)

骨髄細胞の増殖抑制の指標としての幼若赤血球の比率について,まずBartlett検定5)により陽性対照群を除く各群の分散の一様性の検定を行った.その結果,いずれも等分散であったことからDunnett検定8)を用いて陰性対照群と各被験物質投与群との平均値の差の検定を行った.陰性対照群と陽性対照群との比較については,F検定5)により分散の一様性の検定を行い,等分散であったことからStudentのt検定5)を行った.

(判定)

被験物質が骨髄細胞において,染色体異常誘発作用または紡錘体形成阻害作用を示すか否かの判定は,統計解析の結果をもとに,用量反応性および陰性対照の背景 データ,骨髄細胞増殖への影響等を参考にして総合的に行った.

結果

被験物質の投与直後から1時間の間,25および50 mg/kg投与群の全例に自発運動低下が認められたが,投与後6時間には回復した.その他の個体については,一般状態の変化は認められなかった.

投与後24および48時間における小核出現頻度と,全赤血球中の幼若赤血球の比率をTable 1に示す.投与後24および48時間の陰性対照群と,陽性対照群(投与後24時間のみ)の小核出現頻度は,背景データのばらつきの範囲内であった.

投与後24および48時間の小核出現頻度は,被験物質のいずれの投与群においても,陰性対照群と比較して有意な増加は示さず,用量依存性も認められなかった.一方,CPA 50 mg/kgを投与した陽性対照群では,0.1 %水準で有意な小核出現頻度の増加が認められた.

また,投与後24および48時間の赤血球中に占める幼若赤血球の比率は,被験物質の各投与群および陽性対照群(投与後24時間)のいずれにおいても,陰性対照群との間に有意差は認められなかった.

考察

ρ-tert-ブチルフェノールについては復帰変異試験では陰性,染色体異常試験では陽性の結果が報告されている9, 10).しかし,マウスの骨髄細胞を用いて行った本小核試験の結果,ρ-tert-ブチルフェノールの投与により,小核出現頻度の増加は認められず,幼若赤血球の比率の変化も認められなかった.

以上の結果から,本試験条件下ではρ-tert-ブチルフェノールは,マウス骨髄細胞において染色体異常誘発作用あるいは紡錘体形成阻害作用を示さず,また,骨髄細胞の増殖抑制作用も示さないと結論した.

文献

1)National Institute of Occupational Safety and Health(NIOSH)Registry of Toxic Effects of Chemical Substances(RTECS).
2)W. Schmid, Mutat. Res., 31, 9(1975).
3)W. Schmid, "Chemical Mutagens," Vol. 4, ed. by A. Hollaender, Plenum Press, N. Y. -London, 1976, pp. 76-78.
4)M. Hayashi, T. Sofuni, M. Jr. Ishidate, Mutat. Res., 120, 241(1983).
5)G. W. Snedecor, W. G. Cochran, "Statistical methods," 7, Iowa State University Press, 1980.
6)B. H. Margolin, M. A. Resnick, J. Y. Rimpo, P. Archer, S. M. Galloway, A. D. Bloom, E. Zeiger, Environ. Mutagen., 8, 183(1986).
7)B. H. Margolin, K. J. Risko, "Evaluation of Short-Term Tests for Carcinogens," Vol. 1, eds. by J. Ashby, et al., Cambridge Univ. Press, 1988, pp. 29-42.
8)C. W. Dunnet, J. Am. Statist. Assoc., 50, 1096(1955).
9)澁谷徹,化学物質毒性試験報告,4, 295(1996).
10)田中憲穂,化学物質毒性試験報告,4, 301(1996).

連絡先
試験責任者:原  巧
試験担当者:関 剛幸,松本浩孝,太田 亮,堀内伸二,稲田浩子,三枝克彦,安生孝子
(財)食品薬品安全センター秦野研究所
〒257-8523 神奈川県秦野市落合729-5
Tel 0463-82-4751Fax 0463-82-9627

Correspondence
Authors:Takumi Hara(Study director)
Takayuki Seki, Hirotaka Matsumoto, Ryo Ohta, Shinji Horiuchi, Hiroko Inada, Katsuhiko Saegusa, Takako Anjo
Hatano Research Institute, Food and Drug Safety Center
729-5 Ochiai, Hadano-shi, Kanagawa, 257-8523, Japan
Tel +81-463-82-4751Fax +81-463-82-9627