1-ナフチル酢酸の チャイニーズ・ハムスター培養細胞を用いる染色体異常試験

In Vitro Chromosomal Aberration Test of 1-Naphthylacetic acid on Cultured Chinese Hamster Cells

要約

 OECD 既存化学物質安全性点検に係る毒性調査事業の一環として,1-ナフチル酢酸の培養細胞に及ぼす細胞遺伝学的影響を評価するため,チャイニーズ・ハムスター培養細胞(CHL/IU,以下CHLと略す)を用いて試験管内染色体異常試験を実施した.

 染色体異常試験に用いる濃度を決定するため,細胞増殖抑制試験を行ったところ,直接法48時間処理における約 50% の増殖抑制を示す濃度は 1.1 mg/ml であった.また,代謝活性化法の S9mix 存在下および非存在下における約 50% の増殖抑制を示す濃度は,それぞれ 1.6 mg/ml および 1.7 mg/ml であった.従って染色体異常試験において,直接法では 1.1 mg/ml,代謝活性化法では S9mix 存在下および非存在下ともに 1.7 mg/ml の処理濃度をそれぞれ高濃度とし,それぞれその 1/2 の濃度を中濃度,1/4 の濃度を低濃度として設定した.

 直接法により,CHL 細胞を 24時間処理したすべての処理群において,染色体の構造異常や倍数性細胞の誘発作用は認められなかった.また, 48時間処理した最高処理濃度(1.1 mg/ml)では,倍数性細胞の有意な増加が認められたが,その出現頻度は 2% 以下であり,判定は陰性であった.一方,代謝活性化法においては,S9mix 存在下および非存在下の最高処理濃度(1.7 mg/ml)で,観察した細胞のそれぞれ 9% および 7%(gapを含む)に染色体の構造異常が誘発され,判定は疑陽性であった.そこで再現性を確認するため,追加試験として代謝活性化法のS9mix 存在下および非存在下について, in vitro 小核試験を実施したところ, S9mix 存在下および非存在下の高濃度群(1.7 mg/ml)で小核の有意な増加が認められ,染色体異常誘発性に関して再現性が得られた.誘発された染色体異常の要因に関しては,被験物質を添加すると培養液が黄色化することからpHの低下による影響も示唆された.

 以上の結果より1-ナフチル酢酸は,今回実施した試験条件下で,試験管内の CHL 細胞に染色体異常を誘発すると結論した.

方法

1.使用した細胞

 リサーチ・リソースバンク(JCRB)から入手(1988年2月,入手時:継代 4代)したチャイニーズ・ハムスター由来の CHL 細胞を,解凍後継代 10代以内で試験に用いた.

2.培養液の調製

 培養には,牛胎児血清(FCS:JRH BIOSCIENCES,ロット番号:1C2073)を 10% 添加したイーグル MEM 培養液を用いた.

3.培養条件

 2×10^4 個の CHL 細胞を,培養液 5 ml を入れたディッシュ(径 6 cm,Corning)に播き,37 ℃の CO2 インキュベーター(5% CO2 )内で培養した.

 直接法では,細胞播種3日目に被験物質を加え,24時間および48時間処理した.また,代謝活性化法では,細胞播種3日目にS9mixの存在下および非存在下で6時間処理し,処理終了後新鮮な培養液でさらに18時間培養した.

4.被験物質

 1-ナフチル酢酸(CAS No. :86-87-3,ロット番号:2D1001,東洋化成工業(株)製造,(社)日本化学工業協会提供)は白色あるいは淡黄色粉末で,水に 0.038 g/100 ml まで可溶,ジメチルスルホキシドには難溶,アセトンに易溶である.分子式C12H10O2 ,分子量186.22,融点 131.8℃の物質で,純度は 96.4%である.原体の有効期限(安定性)は室温遮光保存下において 3年間であり,溶媒中(アセトン)での安定性試験では,3.125〜340 mg/ml の濃度範囲で 4時間は安定であった.

5.被験物質の調製

 被験物質の調製は,使用のつど行った.溶媒はアセトン(和光純薬工業(株),ロット番号:DCK1899)を用いた.原体を溶媒に溶解して原液を調製し,ついで原液を溶媒で順次希釈して所定の濃度の被験物質調製液を作製した.被験物質調製液は,すべての試験において培養液の 0.5%(v/v)になるように加えた.染色体異常試験および小核試験の直接法および代謝活性化法に用いた高濃度群と低濃度群の調製液の濃度は,すべて許容範囲内(平均含量が添加量の 85% 以上)の値であった.

6.細胞増殖抑制試験による処理濃度の決定

 染色体異常試験に用いる被験物質の処理濃度を決定するため,被験物質の細胞増殖に及ぼす影響を調べた.被験物質の CHL 細胞に対する増殖抑制作用は,単層培養細胞密度計(Monocellater,オリンパス光学工業(株))を用いて各群の増殖度を計測し,被験物質処理群の溶媒対照群に対する細胞増殖の比をもって指標とした.

 その結果,被験物質 の約 50% の増殖抑制を示す濃度を, 50%をはさむ 2濃度の値より算出したところ, 直接法では 1.1 mg/ml であった.また,代謝活性化法の S9mix 存在下および非存在下における約 50% の増殖抑制を示す濃度は,それぞれ 1.6 mg/ml および 1.7 mg/ml であった (Fig. 1).

7.実験群の設定

 細胞増殖抑制試験の結果より,染色体異常試験および追加試験(in vitro 小核試験)で用いる被験物質の高濃度群を,直接法では 1.1 mg/ml,代謝活性化法では 1.7 mg/ml とし,それぞれ高濃度群の 1/2 の濃度を中濃度,1/4 の濃度を低濃度とした.

8.染色体標本作製法

 培養終了の 2時間前に,コルセミドを最終濃度が約 0.1 μg/ml になるように培養液に加えた.染色体標本の作製は常法に従って行った.スライド標本は各シャーレにつき6枚作製した.作製した標本を 3%ギムザ溶液で約 10分間染色した.

9.染色体分析

 作製したスライド標本のうち,1つのディッシュから得られた異なるスライドを,複数の観察者がそれぞれ処理条件が分からないようにコード化した状態で分析した.染色体の分析は,日本環境変異原学会,哺乳動物試験(MMS)分科会1)による分類法に基づいて行い,染色体型あるいは染色分体型のギャップ,切断,交換などの構造異常の有無と倍数性細胞(polyploid)の有無について観察した.また構造異常については 1群 200個,倍数性細胞については 1群 800個の分裂中期細胞を分析した.

10.小核標本作製法

 培養終了後ディッシュより細胞を剥離し,遠心して得られた細胞を 0.15 M KCl 水溶液で約20分間低張処理した.メタノール:氷酢酸(5:1)の固定液で細胞を固定後,スライドに 1滴滴下し,スライド標本を作製した.作製した標本を 3%ギムザ溶液で約10分間染色した.

11.小核標本の観察法

 作製したスライド標本のうち,1つのディッシュから得られた異なるスライドを,二人の観察者がそれぞれ処理条件が分からないようにコード化した状態で分析した.観察は,60倍以上の対物レンズ( 接眼 10倍 ) をつけた顕微鏡を用いて行った.細胞質を含み,細胞質周辺の明瞭な間期細胞1000個(1群あたり)について観察し,小核(直径が主核の1/3以下であり,色調により明らかに核由来と判定できるもの2))をもった細胞を算定した.

12.記録と判定

 無処理対照,溶媒および陽性対照群と被験物質処理群についての分析結果は,観察した細胞数,構造異常の種類と数,倍数性細胞の数について集計し,各群の値を記録用紙に記入した.染色体異常を有する細胞の出現頻度について,フィッシャーの exact probability test 法により,溶媒対照群と被験物質処理群間および溶媒対照群と陽性対照群の有意差検定を行った.被験物質の染色体異常誘発性についての最終判定は,石館ら3)の判定基準に従い,染色体異常を有する細胞の頻度が 5% 未満を陰性,5% 以上 10% 未満を疑陽性,10% 以上を陽性としたが,疑陽性の結果が得られた場合,in vitro 小核試験を実施し再現性を確認して最終判定を行うこととした.in vitro 小核試験に関しては,Kastenbaum and Bowman の方法4)(1970)に従って有意差検定(p<0.05)を行い,小核誘発の判定を行った.

結果および考察

 直接法による染色体分析の結果を Table 1 に示した.1-ナフチル酢酸を加えて 24時間および 48時間処理したほとんどの群で,染色体の構造異常および倍数性細胞の誘発は認められなかった.なお, 48時間処理した最高処理濃度群(1.1 mg/ml)では,倍数性細胞の出現頻度に有意な増加(p=0.00315)がみられたが,その頻度は 5%以下であり,石館らの判定基準では陰性であった.

 代謝活性化法による染色体分析の結果を Table 2に示した.1-ナフチル酢酸を加えてS9mix 非存在下で6 時間処理した中濃度群(0.9 mg/ml)および高濃度群(1.7 mg/ml)で,倍数性細胞の有意な増加(それぞれ p=0.0110 および p=0.0000159)が認められた.また, S9mix 存在下の高濃度群(1.7 mg/ml)においても,倍数性細胞の有意な増加(p=0.00200)が認められた.しかしながら,その出現頻度はいずれも 5% 未満であり,石館らの判定基準では陰性であった.一方,S9mix 存在下および非存在下で 6時間処理した最高処理濃度群(1.7 mg/ml)では,観察した細胞のそれぞれ 9% および 7%(gap を含む)に染色体異常が認められ,疑陽性の結果が得られた.

 そこで,代謝活性化法の S9mix 存在下および非存在下の条件について,再現性を確認するための追加試験として,染色体異常を精度よく反映することができるin vitro 小核試験を実施した(Table 3).その結果,S9mix 存在下および非存在下の高濃度群(1.7 mg/ml)において,小核の有意な増加か認められ,染色体異常の誘発性が確認された.

 一方,本試験と並行して実施された 5種類の検定菌を用いる復帰突然変異試験では,直接法,代謝活性化法のいずれの試験においても変異原活性は認められなかった.

 培地のpHが低下すると染色体異常が誘発されることが報告5)されている.細胞を用いる本実験では,1-ナフチル酢酸を培養液に加えると培養液の色が黄色に変化することから,代謝活性化法と同一条件における処理直後と処理終了時のpHを測定した.その結果,S9mix 非存在下における処理直後のpHは,5.92〜6.54であり,処理終了後では 5.13〜6.57であった.また,S9mix 存在下における処理直後のpHは,5.92〜6.65であり,処理終了後では 4.98〜6.52であった.従って,本実験で誘発された染色体異常に関しては,1-ナフチル酢酸添加による培地の酸性化による可能性と,1-ナフチル酢酸それ自身による DNA傷害作用に起因する可能性の 2通りが考えられる.

文献

1)日本環境変異原学会・哺乳動物試験分科会編,“化学物質による染色体異常アトラス,”朝倉書店,1988.
2)日本組織培養学会編,“細胞トキシコロジー試験法,”P.247-251,朝倉書店,1991.
3)石館 基 監修,“〈改訂〉染色体異常試験データ集,”エル・アイ・シー社,1987.
4)Kastenbaum M. A.,Bowman K. O.,Mutat. Res.,9,527-549,1970.
5)Morita T., et al.,Mutat. Res., 240,195-206,1990.

連絡先
試験責任者:田中憲穂
試験担当者:山影康次,佐々木澄志,若栗 忍,日下部博一,橋本恵子
(財)食品薬品安全センター秦野研究所
〒257 神奈川県秦野市落合729-5
Tel 0463-82-4751Fax 0463-82-9627

Correspondence
Authors:Noriho Tanaka ( Study director )
Kohji Yamakage,
Kiyoshi Sasaki,
Shinobu Wakuri,
Hirokazu Kusakabe,
Keiko Hashimoto
Hatano Research Institute, Food and Drug Safety Center
729-5 Ochiai,Hadano,Kanagawa,257,Japan
Tel +81-463-82-4751Fax +81-463-82-9627