リン酸トリス(2-エチルヘキシル)のラットを用いる
経口投与による28日間反復投与毒性試験

Twenty-eight-day Repeat Dose Oral Toxicity Test of Tris(2-ethylhexyl)phosphate in Rats

要約

 塩ビペーストや合成ゴムなどの耐寒性可塑剤として用いられている既存化学物質リン酸トリス(2-エチルヘキシル)の28日間反復投与毒性試験を,SD系[Crj:CD(SD)]ラットを用い,0(対照),30,100,300および1000mg/kg/day用量の経口投与により実施した.動物数は1群雌雄各6匹とし,7群を設け,5群は投与終了後屠殺群,2群は対照および1000mg/kgの14日間回復群とした.

 30および100mg/kg群では,被験物質投与と関連する変化は認められなかった.300mg/kg以上の群では,いずれも軽度なプロトロンビン時間の短縮が雌に,血清コリンエステラーゼ活性の低下が雄に認められた.また,1000mg/kg群の雄には,活性化部分トロンボプラスチン時間の軽度な延長が認められた.しかし,一般状態の観察,体重および摂餌量の測定,尿検査ならびに神経系を含む各器官の病理学的検査においては,被験物質投与各群に異常は認められなかった.また,回復群においては,雄の血清コリンエステラーゼ活性の低下が残存していたが,その他の変化は認められず,回復していた.

 以上の結果から,リン酸トリス(2-エチルヘキシル)は,ラットの血液凝固系や血清コリンエステラーゼ活性に対し軽度な影響を有し,その無影響量は100mg/kg/dayと推定された.

方法

1.被験物質

 被験物質リン酸トリス(2-エチルヘキシル)は,比重0.926(20℃)の水に難溶な無色透明液体で,試験には大八化学工業株式会社(愛知県)から提供されたもの(ロット番号K40602,純度99.7%)を用い,これを局方ゴマ油(宮澤薬品)に溶解して投与液とした.被験物質原液および投与液中の被験物質は,安定であることを確認した.

2.使用動物および飼育条件

 日本チャールス・リバー株式会社より購入した5週齢のSD系[Crj:CD(SD)]ラット(雄156〜167g,雌137〜150g)を,1群雌雄各6匹として用いた.ラットは,温度22±3℃,湿度55±10%,換気回数10回以上/時,照明12時間(6時〜18時)に設定した飼育室で金網ケージに個別に収容して飼育し,固型飼料[日本農産工業(株),ラボMRストック]と水を自由摂取させた.

3.投与量および投与方法

 投与量設定試験を,5週齢のSD系[Crj:CD(SD)]ラットを1群雌雄各4匹とし,0,100,200,500,1000および2000mg/kg用量の14日間経口投与により実施した.1000mg/kg以上の群でプロトロンビン時間の短縮および活性化部分トロンボプラスチン時間の延長が,2000mg/kg群で尿のアルカリ化傾向が認められた.しかし,一般状態,体重,摂餌量,血液生化学的所見,剖検所見および器官重量には,被験物質の投与に起因すると考えられる変化は認められなかった.したがって,本試験における投与量は,1000mg/kgを最高用量とし,以下300,100および30mg/kgの4用量,ならびに対照を設定した.試験群は,以上の5群の他に1000mg/kgおよび対照の14日間回復群を設けた.投与は,胃ゾンデを装着した注射筒を用いて,投与液を1日1回,28日間にわたって経口投与した.投与液量は,体重100g当たり0.5mlとした.対照群には,溶媒であるゴマ油を同様に投与した.

4.観察および検査項目

1)一般状態観察

 投与および回復期間中毎日,生死および外観,行動等を観察した.

2)体重および摂餌量測定

 体重は,投与期間中においては毎日投与直前に,回復期間中は週1回測定した.摂餌量は,ケージごとに週1回,24時間の消費量を測定し,1匹当たりの平均摂餌量を算出した.

3)尿検査

 投与27日および投与終了後13日に腰背部を刺激して強制排尿させ,pH,潜血,タンパク,糖,ケトン体,ビリルビンおよびウロビリノーゲン[以上,マイルス・三共(株),マルティスティックス]ならびに外観を検査した.

4)血液学的検査

 供試血液の採取は,投与期間および回復期間終了翌日における屠殺剖検時に行った.動物は採血前日の午後5時より除餌し,水のみを給与した.採取した血液は3分割し,その一部はEDTA-2Kで凝固防止処理し,多項目自動血球計数装置[東亜医用電子(株),E-4000]により,赤血球数(電気抵抗検出方式),血色素量(ラウリル硫酸ナトリウム-ヘモグロビン法),ヘマトクリット値(パルス検出方式),平均赤血球容積,平均赤血球血色素量,平均赤血球血色素濃度(以上,計算値),白血球数および血小板数(以上,電気抵抗検出方式)を,また塗抹標本を作製して,網状赤血球数(Brilliant cresyl blue染色)および白血球百分率(May-Giemsa染色)を測定した.さらに一部は,3.8%クエン酸ナトリウム液で処理して血漿を得,血液凝固自動測定装置(アメルング社,KC-10A)により,プロトロンビン時間(Quick一段法)および活性化部分トロンボプラスチン時間(エラジン酸活性化法)を測定した.

5)血液生化学的検査

 採取した血液の一部から血清を分離し,生化学自動分析装置[日本電子(株),JCA-VX-1000型クリナライザー]により,総タンパク(Biuret法),アルブミン(BCG法),A/G比(計算値),血糖,トリグリセライド,総コレステロール(以上,酵素法),総ビリルビン(Jendrassik法),尿素窒素(Urease-UV法),クレアチニン(Jaffe法),GOT,GPT,γ-GTP(以上,SSCC法),アルカリフォスファターゼ(GSCC法),コリンエステラーゼ(BTC-DTNB法),カルシウム(OCPC法)および無機リン(酵素法)を,電解質自動分析装置[東亜電波工業(株),NAKL-1]により,ナトリウム,カリウムおよび塩素を測定した.

6)病理学的検査

 採血に続いて剖検し,脳,肝臓,腎臓,副腎および精巣/卵巣を秤量した.病理組織学的検査は,採取した器官を10%中性リン酸緩衝ホルマリン液で固定後,脳,心臓,肝臓,脾臓,腎臓,副腎および脊髄について,常法に従いパラフィン切片を作製し,ヘマトキシリン・エオジン染色を施して鏡検した.

4.統計処理

 定量的所見についてはBartlettの分散検定を行い,分散が一様な場合は一元配置の分散分析を行った.分散が一様でない場合,白血球百分率および尿所見はKruskal-Wallisの順位検定を行った.それらの結果有意差を認めた場合,Dunnett法により対照群に対する各群の比較検定を行った.ただし,回復群についてはt検定あるいはU検定を行った.

結果

1.一般状態および死亡

 各群とも死亡はなく,被験物質の投与と関連性が考えられる一般状態の変化も認められなかった.

2.体重および摂餌量(Fig.1)

 被験物質投与各群の体重および摂餌量とも,対照群と比べて有意な変化は認められなかった.

3.尿所見

 被験物質投与各群とも,対照群に比べ各検査項目に有意な変化は認められなかった.

4.血液学的所見(Table 1)

 プロトロンビン時間の用量依存的,かつ,有意な短縮が300mg/kg以上の群の雌に,活性化部分トロンボプラスチン時間の有意な延長が100mg/kg群の雄に認められた.回復群では,各検査項目に対照群と比べて有意な変化は認められなかった.

5.血液生化学的所見(Table 2)

 雄において,コリンエステラーゼ活性の有意な減少が300mg/kg群に認められ,1000mg/kg群においても対照群と比べ有意差は認められなかったが,同様の傾向にあった.さらに,雄の回復群においてもコリンエステラーゼ活性の有意な減少が認められた.

6.病理学的所見

 剖検所見においては,各群に異常は認められなかった.

 器官重量については,得られた結果をTable 3に示した.副腎の絶対重量における有意な増加が1000mg/kg群の雌に認められた.しかし,相対重量では対照群に比べて有意差は認められなかった.また,30mg/kg群の腎臓は絶対重量のみの有意な減少,30および100mg/kg群の脳は相対重量のみの有意な増加を示したが,用量依存的な変化ではなく,いずれも体重が対照群をやや下回ったための所見であった.回復群では,いずれの器官重量にも有意な変化は認められなかった.

 病理組織学的検査においては,対照群と1000mg/kg群の心臓,肝臓,脾臓,腎臓および副腎を検査した結果,被験物質の投与と関連する異常は認められなかった.また,回復群の雄については,血清コリンエステラーゼ活性の低下が見られたことから,脳および脊髄を検査したが,異常は認められなかった.

考察

 リン酸トリス(2-エチルヘキシル)は,ラットへの28日間反復投与において,血液凝固系関連項目や血清コリンエステラーゼ活性に軽度な変動が認められたが,一般状態および体重に対する影響ならびに病理学的異常は認められず,比較的毒性の弱い物質であることが確認された.

 血液凝固系に対する影響については,プロトロンビン時間の用量依存的な短縮が300mg/kg 以上の群の雌に認められ,外因系反応に促進的な影響がうかがわれた.一方,雄においては,プロトロンビン時間に変化はみられなかったが,1000mg/kg群で活性化部分トロンボプラスチン時間が延長し,内因系反応に抑制的な影響を示した.しかし,肝機能に対する影響を示唆する血液生化学的所見および病理学的所見は認められなかった.また,変化の程度も軽度で,回復群では回復していた.

 血清コリンエステラーゼ活性の低下が300mg/kg群の雄で認められ,1000mg/kg群の雄においても対照群と比べ有意差はみられなかったが低下傾向を示した.また,同様の変化は回復群の雄にも認められ,被験物質投与の影響が持続していたものと推察された.

 この血清コリンエステラーゼ活性の低下は,有機リン系化合物にみられるコリンエステラーゼ阻害作用を示唆する変化とも推察されるが,有機リン系農薬等でみられる変化に比べてごく軽微なものであった.また,神経毒性がうかがわれる症状や脳・脊髄における組織学的変化1)も認められなかった.

 なお,副腎重量の増加が1000mg/kg群の雄で認められたが,相対重量では対照群と比べて有意差は認められず,また組織学的にも副腎に異常は認められなかった.

 以上の結果から,リン酸トリス(2-エチルヘキシル)のラットへの投与により,いずれも軽度なプロトロンビン時間の短縮,活性化部分トロンボプラスチン時間の延長および血清コリンエステラーゼ活性の低下が発現することが明らかとなり,その無影響量は100mg/kg/dayと推定された.

文 献

1)白須泰彦編,“毒性試験講座17−農薬,動物用医薬品,”地人書館,1988,PP.81-93

連絡先
試験責任者:伊藤義彦
試験担当者:山本 譲,下平裕二,赤木 博,小沼敦子,長澤朋子
(財)畜産生物科学安全研究所
〒229 神奈川県相模原市橋本台3-7-11
Tel 0427-62-2775Fax 0427-62-7979

Correspondence
Authors:Yoshihiko Ito (Study director)
Yuzuru Yamamoto,
Yuuji Shimodaira,
Hiroshi Akagi ,
Atuko Konuma,
Tomoko Nagasawa
Ressearch Institute for Animal Science in Biochemistry and Toxicology
3-7-11 Hashimotodai,Sagamihara-shi,Kanagawa,229,Japan
Tel +81- 427-62-2775Fax +81- 427-62-7979