トリメチル亜リン酸のチャイニーズ・ハムスター培養細胞を用いる染色体異常試験

In Vitro Chromosomal Aberration Test of Trimethoxyphosphine
on Cultured Chinese Hamster Cells

要約

トリメチル亜リン酸の培養細胞に及ぼす細胞遺伝学的影響について,チャイニーズ・ハムスター培養細胞(CHL/IU)を用いて染色体異常試験を実施した.

連続処理(24時間)および短時間処理(6時間)のS9 mix非存在下では,1.2 mg/mL(10 mM)の濃度においても50 %を越える細胞増殖抑制は認められなかった.短時間処理のS9 mix存在下における50 %細胞増殖抑制濃度は,1.2 mg/mL(10 mM)であった.このことから,すべての試験において1.2 mg/mL(10 mM)の濃度を最高処理濃度とし,連続処理およびS9 mix非存在下での短時間処理では,公比2で3濃度,S9 mix存在下での短時間処理では,公比2で4濃度設定した.連続処理では,24時間および48時間処理後,短時間処理ではS9 mix非存在下および存在下で6時間処理し,新鮮培地で更に18時間培養後,標本を作製し,検鏡することにより染色体異常誘発性を検討した.染色体分析が可能な最高濃度は,すべての系列で1.2 mg/mL(10 mM)の濃度であったことから,これらの濃度を高濃度群として 3濃度群を観察対象とした.

CHL/IU細胞を24時間連続処理した群では,傾向性検定(p<0.01)において有意差が認められたが,フィッシャーの直接確率法においてはいずれの濃度群でも有意差が認められず,高濃度群(1.2 mg/mL)においても誘発頻度は5.0 %と低かったことから,陰性と判定した.48時間処理した高濃度群(1.2 mg/mL)では,染色体異常が誘発され,その誘発頻度は5.0 %で,濃度依存性も認められたが,24時間処理では同じ誘発頻度でも有意差がつかず,誘発頻度自体も低いことなどから,陰性と判定した.また,倍数性細胞については,24時間連続処理したいずれの群でも,誘発作用は認められなかった.48時間連続処理した高濃度群では,傾向性検定(p<0.01)において有意差が認められたが,フィッシャーの直接確率法においてはいずれの濃度群でも有意差が認められず,高濃度群(1.2 mg/mL)においても,0.63 %と低頻度であったことから,陰性と判定した.短時間処理では,S9 mix非存在下では,いずれの処理群においても染色体異常および倍数性細胞の誘発作用は認められなかった.S9 mix存在下では,高濃度群(1.2 mg/mL)で,染色体異常の誘発作用が認められ,その誘発頻度は7.5 %(gapを含む)であった.また,倍数性細胞については,すべての処理群で倍数性細胞の誘発作用が認められ,その頻度は0.88-2.88 %であった.

以上の結果より,本試験条件下でトリメチル亜リン酸は,染色体異常を誘発する(陽性)と結論した.

方法

1. 使用した細胞

リサーチ・リソースバンク(JCRB)から入手(1988年2月,入手時:継代4代,現在21代)したチャイニーズ・ハムスター由来のCHL/IU細胞を,解凍後継代10代以内で試験に用いた.

2. 培養液の調製

培養には,仔牛血清(CS:Cansera International)を10 vol%添加したイーグルMEM(日水製薬(株))培養液を用いた.

3. 培養条件

トリメチル亜リン酸はプラスチック底面を溶解し,強い特異臭を発することから,培養にはガラスフラスコ(ハリオ)を用いた.2×10^4個のCHL/IU細胞を,培養液 5 mL を入れたフラスコに播き,37℃のCO2インキュベーター(5 % CO2)内で培養した.連続処理では,細胞播種3日目に被験物質を加え,24時間および48時間処理した.また,短時間処理では,細胞播種3日目にS9 mix非存在下および存在下で6時間処理し,処理終了後新鮮な培養液でさらに18時間培養した.

4. S9

S9(キッコーマン(株))は,フェノバルビタールと5,6-ベンゾフラボンを投与した雄Sprague-Dawey系ラットの肝臓から調製したものを購入した.添加量は培地に対して5 vol%とした.

5. 被験物質

トリメチル亜リン酸(ロット番号:7X001,呉羽化学工業(株),東京)は,無色液体で,DMSOでは2 M以上,アセトンでは50 mg/mL以上の溶解性を示す油溶性の物質で,融点-78℃,沸点111℃,蒸気圧1.33 kPa(12℃)で,純度99.58 %(不純物としてメタノール0.10 %,ジメチル水素ホスファイト0.02 %,トリメチルフォスフェート0.19 %,不明成分0.11 %を含む)の物質であった.また,加水分解を起こし,亜リン酸とメタノールに分解する特性を有する.

6. 被験物質の調製

被験物質の調製は,使用のつど行った.溶媒は DMSO(ロット番号:TPG6738,和光純薬工業(株))を用いた.原体を溶媒に溶解して原液を調製し,ついで原液を溶媒で順次希釈して所定の濃度の被験物質調製液を作製した.被験物質調製液は,すべての試験において培養液の0.5 vol%になるように加えた.

7. 細胞増殖抑制試験による処理濃度の決定

染色体異常試験に用いる被験物質の処理濃度を決定するため,被験物質の細胞増殖に及ぼす影響を調べた.被験物質のCHL/IU細胞に対する増殖抑制作用は,コールターカウンター(Coulter Electronics Ltd.)を用いて各群の細胞数を計測し,被験物質処理群の溶媒対照群に対する細胞増殖の比をもって指標とした.

その結果,連続処理およびS9 mix非存在下における短時間処理では,最高処理濃度の1.2 mg/mL(10 mM)においても50 %を越える細胞増殖抑制作用は認められなかった.S9 mix存在下における50 %細胞増殖抑制濃度は1.2 mg/mL であった(Fig. 1).

8. 実験群の設定

細胞増殖抑制試験の結果より,染色体異常試験においては,すべての処理系列で,1.2 mg/mL(10 mM)を最高濃度とした.公比2で,連続処理および短時間処理のS9 mix非存在下では3濃度,S9 mix存在下では4濃度を設定した(連続処理およびS9 mix非存在下での短時間処理:0.30,0.60,1.2 mg/mL,S9 mix存在下での短時間処理:0.15.0.30,0.60,1.2 mg/mL).陽性対照物質として用いたマイトマイシンC(MC,協和醗酵工業(株))およびシクロホスファミド(CPA,Sigma Chemical Co.)は,注射用蒸留水((株)大塚製薬工場) に溶解して調製した.それぞれ染色体異常を誘発することが知られている濃度を適用した.

染色体異常試験において,溶媒対照群と処理群では1濃度あたり2フラスコを用い,染色体標本の作製およびコールターカウンターによる細胞増殖率測定を行った.無処理対照群および陽性対照群についてはコールターカウンターによる細胞増殖率測定は行わなかった.

9. 染色体標本作製法

培養終了の2時間前に,コルセミドを最終濃度が約 0.1 μg/mLになるように培養液に加えた.染色体標本の作製は常法に従って行った.スライド標本は各フラスコにつき6枚作製した.作製した標本を3 vol%ギムザ溶液で染色した.

10. 染色体分析

細胞増殖率測定の結果と分裂指数により,20 %以上の相対増殖率で,かつ2フラスコともに0.5 %以上の分裂指数を示した最も高い濃度を観察対象の最高濃度群とし,観察対象の3濃度群を決定した.その結果(Table 1, 2),すべての処理系列において,1.2 mg/mL(10 mM)が染色体分析の可能な最高濃度であったことから,これらの濃度を含む 3濃度群を観察対象とした.

作製したスライド標本のうち,1つのフラスコから得られた異なるスライドを,4名の観察者がそれぞれ処理条件が分からないようにコード化した状態で分析した.染色体の分析は,日本環境変異原学会・哺乳動物試験研究会(MMS)1)による分類法に基づいて行い,染色体型あるいは染色分体型のギャップ,切断,交換などの構造異常の有無と倍数性細胞(polyploid)の有無について観察した.また構造異常については1群200個,倍数性細胞については1群800個の分裂中期細胞を分析した.

11. 記録と判定

無処理対照,溶媒および陽性対照群と被験物質処理群についての分析結果は,観察した細胞数,構造異常の種類と数,倍数性細胞の数について集計し,各群の値を記録用紙に記入した.

染色体異常を有する細胞の出現頻度について,溶媒対照群と被験物質処理群および陽性対照群間でフィッシャーの直接確率法2)により,有意差検定を実施した(p<0.01).また,用量依存性に関してコクラン・アーミテッジの傾向性検定3)(p<0.01)を行った.これらの検定結果を参考とし,生物学的な観点からの判断を加味して染色体異常誘発性の評価を行った.

結果および考察

連続処理による染色体分析の結果をTable 1に示した.トリメチル亜リン酸を加えて24時間連続処理した群では,傾向性検定の結果,有意差がついた(p<0.01)が,最高濃度(1.2 mg/mL)における出現頻度は5.0 %(gapを含む)で,フィッシャーの直接確率法においては有意(p<0.0)でないことから,陰性と判定した.48時間連続処理した高濃度群(1.2 mg/mL)において染色体異常が誘発され,その頻度は5.0 %(gapを含む)で有意差が認められ,傾向性検定(p<0.01)でも有意差が認められたが,これは有意差のつかなかった24時間連続処理の最高濃度における出現頻度と同じであったことから,陰性と判定した.倍数性細胞の誘発作用については,24時間連続処理では,すべての処理群において,有意な倍数性細胞の増加は認められなかった.48時間連続処理においては、傾向性検定の結果,有意差がついた(p<0.01)が,最高濃度(1.2 mg/mL)における出現頻度は 0.63% と低く,フィッシャーの直接確率法においては有意(p<0.01)でないことから,陰性と判定した.

短時間処理による染色体分析の結果をTable 2に示した.トリメチル亜リン酸を加えた短時間処理では,S9 mix非存在下で処理した場合,いずれの群でも,染色体異常および倍数性細胞の誘発作用は認められなかった.S9 mix存在下で処理した高濃度群(1.2 mg/mL)で7.5 %(gapを含む)の染色体異常が誘発された.また,倍数性細胞については,すべての処理群で倍数性細胞の誘発作用が認められ,その頻度は低濃度群(0.30 mg/mL)では0.88 %,中濃度群(0.60 mg/mL)および高濃度群(1.2 mg/mL)ではともに2.88 %だった.

従って,トリメチル亜リン酸は,上記の試験条件下で,試験管内のCHL/IU細胞に染色体異常を誘発すると結論した.

なお,本物質は細菌を用いる復帰突然変異試験において,変異原性が認められなかった4).また,関連物質であるdibutyl phosphateおよびtrimethyl phosphateについては,染色体の構造異常を誘発しないことが報告されている5, 6).

文献

1)日本環境変異原学会・哺乳動物試験分科会編,"化学物質による染色体異常アトラス,"朝倉書店,東京,1988, pp. 16-37.
2)吉村功編,"毒性・薬効データの統計解析,事例研究によるアプローチ,"サイエンティスト社,東京,1987, pp. 76-78.
3)吉村功,大橋靖夫編,"毒性試験講座14,毒性試験データの統計解析,"地人書館,東京,1992, pp. 218-223.
4)厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室監修,"化学物質毒性試験報告,"Vol. 7,化学物質点検推進連絡協議会,東京,1999, p. 462.
5)厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室監修,"化学物質毒性試験報告,"Vol. 2,化学物質点検推進連絡協議会,東京,1995, p. 75.
6)厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室監修,"化学物質毒性試験報告,"Vol. 3,化学物質点検推進連絡協議会,東京,1996, p. 301.

連絡先
試験責任者:田中憲穂
試験担当者:田中憲穂,日下部博一,高橋俊孝,橋本恵子
(財)食品薬品安全センター秦野研究所
〒257-8523 神奈川県秦野市落合729-5
Tel 0463-82-4751Fax 0463-82-9627

Correspondence
Authors:Noriho Tanaka(Study director)
Hirokazu Kusakabe, Toshitaka Takahasi, Keiko Hashimoto
Hatano Research Institute, Food and Drug Safety Center
729-5 Ochiai, Hadano, Kanagawa, 257-8523, Japan
Tel +81-463-82-4751Fax +81-463-82-9627